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松山地方裁判所 昭和41年(行ウ)10号 判決 1973年10月01日

原告 青木勇

被告 松山税務署長

訴訟代理人 河村幸登 外九名

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告(請求の趣旨)

1  被告が原告に対し、昭和三九年八月一八日付でなした、原告の昭和三七年分総所得金額を金六四万〇、二四〇円と更正し、過少申告加算税を金二、一〇〇円と賦課決定した処分のうち、昭和三九年一二月一日付異議決定により一部取消された後なお効力を維持する総所得金額金五四万九、三六二円につき金三二万円を超える部分および過少申告加算税を金一、四五〇円とする部分をいずれも取消す。

2  被告が原告に対し、昭和三九年八月一八日付でなした、原告の昭和三八年分総所得金額を金六五万一、九一七円と更正し、過少申告加算税を金二、〇五〇円と賦課決定した処分のうち、昭和三九年一二月一日付異議決定により一部取消された後なお効力を維持する総所得金額金五五万六、九三一円につき金三四万二、二一九円を超える部分および過少申告加算税を金一、三五〇円とする部分をいずれも取消す。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告(請求の趣旨に対する答弁)

主文同旨。

第二当事者双方の主張<省略>

第三証拠関係<省略>

理由

一  原告の請求原因1ないし4は、当事者間に争いがない。

二  (本件課税処分手続上の瑕疵の存否について)

1  原告は、納税者の自主申告はその権利であり、所得税法上の納税義務は申告によつて確定するものであるから、いわゆる質問検査権(旧所得税法六三条一号、現行所得税法二三四条一項一号)は、申告内容に客観的疑義が十分存するときに初めて行使しうるものであつて、当時客観的疑義の存在しなかつた本件において被告税務職員が原告に対し質問検査権を行使したことは違法である旨主張する。

しかしながら、国税通則法一六条一項一号に規定する申告納税方式は、納付すべき税額等はまず納税者のする申告により確定することを原則としながらも、その申告がない場合またはその申告にかかる税額等の計算が法令の規定に従つていなかつた場合、その他当該税額が税務官庁の調査したところと異る場合には、税務官庁の行政処分により税額等を確定するものである。そうすると、第一次的には納税者が税額等の確定権をもつものではあるが、納税者の申告によつて税額等が納税者のその年分の客観的な所得等を正しく反映している場合のことであつて、そうではなく、申告税額等が右客観的所得等を正しく反映していない場合には、いまだ納税者の申告内容どおりには税額等は確定せず、税務官庁はこれを更正または決定によつて(国税通則法二四条ないし三〇条参照)確定する権限を有するものである。そうだとすれば、旧所得税法六三条一号(現行所得税法二三四条一項一号)には、収税官吏(税務職員)は所得に関する調査について必要があるときは、納税者等に質問しまたはその者の事業に関する帳簿書類その他の物件を調査することができることになつているが、右にいう「調査について必要があるとき」とは、納税者の申告税額等が申告者の所得等を正しく反映していないことについて客観的な資料にもとづく疑義が存し、そのため税務官庁において一応の調査をする必要がある(すでに客観的資料が存するのであれば調査は不要となる筋合ではあるが)場合ばかりでなく、税務官庁において主観的にしろ、一応納税者の申告税額等が申告者の所得等を正しく反映していないのではないかとの疑いが存するため、申告内容の適否について調査を要する場合もこれに含まれるものと解するのが相当である。けだし、前述のとおり、納税者の申告税額等がその所得等を正しく反映していないときは、税務官庁は更正または決定によつて納税者の納付すべき税額を確定する権限を有するものであり、税務職員の質問検査権は税務官庁の右権限を行使するための手段として法律上認められたものであるところ、税務官庁としては客観的資料は乏しいが申告内容の適否について一応の疑いが存するときにこそ、その客観的資料を得るために質問検査権の行使が必要なわけであり、この場合にその行使が許されないとしたのでは、法が税務職員に質問検査権を与えた意味の大半が失われることとなるからである。したがつて、この点の原告の主張は、その余の点につき判断するまでもなく失当であるというほかはない。

2  原告は、また、いわゆる質問検査権を行使するにあたつては、調査対象者の申告内容のうちいかなる部分にいかなる疑問点があつて、いかなる点を調査しないかという理由を、事前に調査対象者に開示すべきであつて、何の理由の明示もなく質問検査権を行使することは許されないと主張する。

そこで、まず事実関係をみると、<証拠省略>によれば、被告税務職員南友春や間口忠等が更生決定あるいは異議決定をするための資料収集のため原告方に調査に赴いた際、原告に対し申告税額等の計算の基礎となる原始記録の提示を求めたところ、原告あるいは原告が加盟する松山民主商工会事務局長門田哲郎は、右税務職員に対し、その調査の目的ないし調査の理由の開示を求めたこと・これに対し右税務職員は「調査をしてみなければ申告内容が正しいかどうか明確にならないから、その裏付となる帳簿等を見せてほしい」とこたえたのみで、格別その理由の開示はしていないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

よつて、判断するに、税務職員が質問検査権を行使するにあたつては、必ずしも申告内容が不正確であると疑うにたりる理由が事前に明確になつていなければならないものではなく、また、たとい本件のように調査対象者から理由開示の要求があつたとしても、税務職員は、調査対象者に対し、申告内容のいかなる点がいかなる理由で疑いをもたれているかについて、これを事前に開示すべき義務は原則としてないものと解するのが相当である。けだし、かかる義務を定めた実定法上の根拠がないことのほか、前述のとおり、税務官庁としては、申告内容が申告者の所得等を正しく反映していないことについて、いまだ確実な資料があるわけではないが、一応の疑いが存するという場合にも質問検査権を行使しうるものであるところ、かかる場合には理由を開示することが困難である場合が多いという事情に加えて、かりに事前に理由を開示することができる場合であつても、事前にかかることを開示することが調査の目的達成上妨げとなる場合があるのであり、かようなことになつては、税務職員に質問検査権の行使を認めた法の趣旨を没却することになりかねないからである。

もつとも、かように解することができるからといつて、納税者の申告内容の正確性につき何らの疑点もないのに、税務職員がその恣意的判断により、質問検査権を行使して(またはその行使に籍口して)、被調査者に対しいわれのない不利益を強いることができないのはもちろんであつて、かように調査対象者に合理的な理由があれば、調査の目的あるいは理由の事前開示を要求し、それが容れられなければ調査を拒むことができる場合のあることは否定できないところである。

これを本件についてみると、後記認定のとおり、被告税務職員南友春や間口忠は、被告の申告内容にはその正確性につき疑義が存するものと判断して、その疑義を解明するため原告方に調査に赴いたものであり、後記認定のとおり、被告税務職員が原告の申告内容の信憑性について疑念を抱いたのは無理からぬところがあると認められるのであるから、被告税務職員の本件税務調査について、その権限の行使に違法があつたものということはできないというべきである。

したがつて、この点に関する原告の主張は採用することができない。

3  また、原告は、被告は本件更正時点において一方的に何の資料、根拠もなく推計課税の処分をなしたものであるから、本件課税処分は手続上の瑕疵による取消を免れないと主張する。しかしながら、そもそも課税処分取消訴訟では、当該処分の違法性一般の存否が審判の対象となるものであつて、その違法性の有無は、要するに処分の要件が客観的に具備されているかどうか、換言すれば、被告課税庁の認定した課税標準等または税額等が、関係税法令に照し総額として客観的に正当な数額であるかどうか等によつて判断されるべきものであるから、被告課税庁としては右の点を主張立証すればたり、それが時機に遅れた攻撃防禦方法とならぬかぎり、その主張立証に制約を受けるものではないと解すべきである。したがつて課税処分の適法性について、必ずしも更正時点(処分時点)に存した資料のみによつて立証を尽くす必要があるわけではなく、更正時点以後に収集した資料をもつて課税処分の適法性を立証することも許されるものといわなければならない。したがつて、原告のこの点に関する主張は、その余の点につき判断するまでもなく、主張自体失当というほかはない。

4  よつて、本件課税処分の手続上の瑕疵が存するとの原告の主張はいずれも理由がなく、そこに違法が存するものということはできない。

三(本件推計課税の必要性)

1<証拠省略>の結果によれば、被告税務職員南友春が原告の昭和三七年分および昭和三八年分の所得等確定申告の内容の正確性について疑義が存するものとして、更正決定等の資料とするため、昭和三九年六月上旬ころ原告宅に両年分の所得等の調査に訪れ(以下この調査を第一次調査という)、申告所得額の計算の基礎となるべき帳簿等の提示を求めるなどしたが、原告は、これに対し、両年分の収支明細表と昭和三八年中に支払つた経費関係の領収書のごく一部を提示したものの、右収支明細表は売上金額と仕入金額等の総額と経費の各項目の総額を簡単にまとめて記載したものにすぎず、しかもその収支明細表に記載されている売上金額や仕入金額等について、その計算の基礎となるべき帳簿等を提示せず、必ずしも右調査に協力的でなかつたこと・そして被告税務職員間口忠が原告の異議申立の審査の資料とするため、昭和三九年九月下旬ころ原告宅に所得等の調査に赴き(以下この調査を第二次調査という)、同様に原始記録等の提示などを求めたが、原告は、これに対し、昭和三七年分の売上金額と仕入金額等を記載した大学ノート(原告ノート)のほかは、両年分の収支計算の基礎となるべき帳簿等の提示をせず、必ずしも協力的な態度ではなかつたことなどの事実が認められ、右認定をくつがえすにたりる適確な証拠はない。

2 ところで、原告は、本訴において提出した昭和三七年分および昭和三八年分の各売上帳<証拠省略>が原告における唯一絶対の正確な売上記録であるから、これによつて原告の両年分の所得の実額計算が可能である旨主張するので、この点について検討する。

<証拠省略>によれば、原告の主張する両年分の売上帳はいずれもいわゆる大学ノートを使用し、各頁を横に五段に分けて、日付、仕入(品名、仕入量)、仕入金額、牛皮の売上金額、売上金額の順に記載し、その各欄は、たとえば昭和三七年一月二日の欄をみると、仕入(牛)一頭六三メ、仕入金額九九、五〇〇円、牛皮の売上金額四、七〇〇円、売上金額三万〇、八〇〇円とあるように、その日の取引総額をまとめて記載するという方式をとつていること・右はおおむねその日ごとに原告が記帳したようになつているが、原告宅では右商売用の売上金銭の保管と家事使用分の金銭の保管とが画然と区別されていたわけではないこと・原告の妻青木安子はそのため必要に応じて家計用の出費のためにそのつど右売上金のなかから金銭を持出して出費していること・ところが右安子はその出費にあたつていちいち原告の了承を得たり、またその出費額をいちいち記帳するなどはしておらず、したがつてその日の売上金からいくらについて家事用に消費したか必ずしも明確にはなつていなかつたこと・しかるに、原告の右各売上帳のその日ごとの記帳は、その日の売上金として保管されている金銭の額を閉店後計算して、その残金をその日の売上金として記帳する方法をとつていたため、右各売上帳の売上金額欄記載の各金額は必ずしも原告のその日の売上金額のすべてが正確に記載されているものではないこと・後記認定のとおり原告は両年分とも牛豚の内臓、骨などの売上があるにもかかわらず、これを右各売上帳に記載していないことなどの事実が認められ、右認定に反する<証拠省略>は、たやすく措信することができない。

そして、<証拠省略>を総合すれば、原告は訴外松山食肉事業協同組合に対し牛皮を委託販売していたのであるが、その代金収入の実額は別表三<省略>のA欄記載のとおりであるところ、原告の前記各売上帳のうえでは同表B欄記載のとおりとなつており、両者を対比すれば、その額はわずかずつではあるが、明らかに両者に不突合が存在することが認められ、右認定に反する証拠はない。

また、<証拠省略>を総合すると、被告税務職員が昭和三八年一二月六日に原告の昭和三八年分所得について概況調査に赴いた際、原告は右職員に対し、その当時の売上金額を記帳したものを示したが、それには売上金額は同年一二月一日二万六、〇〇〇円、同月二日一万八、四〇〇円、同月四日一万九、八〇〇円となつており、同月五日については何ら記載されていなかつたが、原告は右職員に対し同日の売上金額を一万六、七〇〇円である旨告げたことを認めることができるところ、原告の昭和三八年分の前記売上帳<証拠省略>によると、同年一二月一日二万一、八〇〇円、同月二日一万九、七〇〇円、同月三日一万八、七〇〇円、同月五日一万九、三〇〇円の各売上があつた旨記載されており、これらの日付、金額は明らかに前記日付、金額と合致していないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定の各事実によれば、結局原告提出の昭和三七年分および昭和三八年分の各売上帳<証拠省略>は、必ずしも日々の実取引額を忠実に記載した正確なものということはできず、したがつてこれにもとづき原告の両年分の所得金額を実額計算することは不可能であるといわなければならない。

3  まして、<証拠省略>に前記第1項の認定事実をあわせ考察すれば、前記昭和三八年分の売上帳<証拠省略>は、被告税務職員の第一次および第二次調査に際し、原告が右職員に対し「昭和三八年分の売上帳も確かに作つてはおつたが、どこかに紛失してみつからない」と述べてこれを提示しておらず、本訴において初めて提出してきたことが認められ、また原告が本訴において提出した昭和三七年分の売上帳<証拠省略>が、被告税務職員の第二次調査の際原告が提示した前記原告ノートと同一のものであるかどうかについては、これを肯定する原告本人尋問の結果はあるが、右は<証拠省略>に照し措信することができず、かえつて、右証拠と右売上帳<証拠省略>とを対比して検討すれば、右売上帳は、原告が被告税務職員の第二次調査の際提示した前記原告ノートとは異るものと推認されるのである。

4  以上の認定事実を総合すれば、被告がその税務調査の過程において、原告から提示を受けた原告ノート等の資料からだけでは実額計算をすることができず、したがつて、帳簿等の資料の提示を受けなかつた部分あるいは提示を受けても信用することができない部分については、これを推計による計算によるほかなかつたことが明らかである。してみれば、被告において、右部分については、これを推計計算の方法によつて算出する必要性があつたものというべきである。

四  (本件推計方法の合理法)

(一)  (昭和三七年分差益金額について)

1  (仕入金額=売上原価)<証拠省略>によれば、被告税務職員間口忠が、第二次調査の際原告より提示を受けた前記原告ノートの記載内容にもとづき集計したところでは、昭和三七年分の仕入金額は、年三七頭三六〇万七、二五〇円、豚三一頭四二万五、七六〇円、かしわ一六万八、六八〇円、ハム・ソーセージ一七万一、一九〇円の合計四三七万二、八八〇円となつたこと・被告税務職員が松山保健所において調査した原告の同年分の牛屠殺頭数は三七頭であり、豚の屠殺頭数は二八頭であつて、右集計額とほぼ合致していることが認められ、右認定に反する証拠はないから、右金額は合理的な仕入金額と認めることができる。

2  (売上金額)

(1)  (牛肉)<証拠省略>によれば、前記原告ノートに記載されていた牛の枝肉総仕入重量は二、三二二貫四〇〇匁(八、七〇九キロ)であること・原告は第二次調査の際被告税務職員間口忠に対し、牛の枝肉を六〇貫とした場合それから取れる静肉の重量は四一貫五〇〇匁である旨(したがつて結局枝肉から取れる精肉の割合すなわち歩留率が六九・二%である旨)を告げていること・右精肉割合六九・二%という数値は枝肉重量から骨、筋、油および目切重量を差引いた重量割合であるところ、同じく原告ノートには牛の枝肉に対する筋肉の割合が八・三%(枝肉六〇貫とした場合取れる筋肉の重量五貫)になつており、そうすると精肉と筋肉を加えたものの枝肉に対する割合(正肉割合)は七七・五%となることが認められ、右認定に反する証拠はない。右事実によれば、右枝肉総仕入重量八、七〇九キロおよび精肉歩留率六九・二%は正しい数値を表わしているものと認められるので、これを基礎とし、弁論の全趣旨により期前期末の商品有高を同額と認めて、販売精肉重量を算出すると、六、〇二六キロとなることが明らかである。

ところで、<証拠省略>によれば、被告税務職員間口忠が第二次調査の際原告から提示を受けた計算書には、原告は昭和三七、八年ころ次表「等級」、「等級割合」、「キロ当り単価」各記載のとおり牛肉を販売していた旨の記載のあつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そうすると、右の販売精肉重量に各等級別重量割合およびキロ当り単価を乗じて、牛の精肉売上金額を算出すると、三九五万九、六八四円となることが明らかであつて、右は合理的な数値であると認められる。

(2)  (牛の皮、内臓、骨、頭肉)<証拠省略>によれば、第二次調査の際、原告が被告税務職員間口忠に対して提示した計算書には、原告の昭和三七年分の牛の皮の売上金額は合計一七万七、五〇〇円、牛一頭について内臓は二、〇〇〇円、骨は一四四円、頭骨は七〇円の売上げがあり、三八頭分で八万四、一三二円の売上があつた旨の記載があつたことが認められるところ、前記認定によれば、牛は三七頭仕入があつたものと認めるのが相当であるから、右金額から一頭分を控除した八万一、九一八円をもつて牛の内臓、骨(頭骨を含む)の売上額と認めるのが相当である。

そして、<証拠省略>によれば、高松国税局職員尾崎務が昭和四五年三月一二日に高松市築地町一三の一有限会社池内精肉店について調査したところでは、同店における牛の生体重量中の頭肉の割合は、生体重量三七五キロに対し五キロ(したがつてその割合は一・三%)であることが認められ、<証拠省略>によれば、被告税務職員井内某が松山保健所で調査したところでは、原告の昭和三七年中の屠殺牛の生体重量は一万四、八九五キロであること(したがつて右一・三%を頭肉とすると頭肉の販売重量は一九三キロとなる)が認められ、右認定に反する証拠はない。そして、頭肉の販売単価が一キロ二〇〇円であつたことは、原告において自認するところであるから、頭肉の右販売重量一九三キロに右単価を乗ずると、その売上金額は三万八、六〇〇円となることが明らかである。

ところで、原告も主張しているとおり、牛の内臓や頭肉等は、もともとホルモン焼などの材料となり、これらがホルモン焼商店等に一括販売されるものであることは公知の事実で、その売上率等はかなり安定しているものと推測されることに照し、右各金額はいずれも合理的な売上金額であると認められる。そうすると、牛の皮、内臓、骨(頭骨)、頭肉の売上金頭の合計額は二九万八、〇一八円となる。

(3)  (牛の筋肉)これまでに認定したとおり、昭和三七年分の牛枝肉総仕入重量は八、七〇九キロであり、牛の枝肉かられ取る筋肉の割合は八・三%である。そして、<証拠省略>によれば、高松国税局職員が昭和四五年三月三日松山市平和通六丁目有限会社日好商店で調査したところでは、同店では、昭和三七年九月九日から昭和三八年一月七日までの間松山商科大学の商大食堂に対し、昭和三七年九月二日から昭和三八年一月一五日までの間実業学校に対し、いずれも牛の筋肉(下級品)を一キロ二〇〇円の単価で販売しており、右筋肉の上級品は主におでん用として下級品の約倍(約キロ当り三〇〇円)の値段で販売していたこと・また同じく高松国税局職員尾崎務が昭和四五年四月八日高松市瓦町一丁目有限会社のぼりや精肉店で調査したところでは、同店では、右調査時点ころ、牛の筋肉はその頭肉と同じ単価一キロ三〇〇円で販売しており、昭和三七、八年ころの筋肉の販売単価は右より安かつたことは確かであるが、その金額は明確でないことがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。右の事実によれば、牛の筋肉の販売単価は頭肉のそれと同じように一キロ二〇〇円であると認めるのが相当であるから、これによつて、牛の筋肉の売上金額を算出すると一四万四、四〇〇円となることが明らかであり、右は合理的な売上金額であると認められる。

したがつて、牛の全売上高は以上の合計四四〇万二、一〇二円となる。

(4)  (豚肉)<証拠省略>によれば、前記原告ノートに記載されていた豚の枝肉仕入重量は五〇九貫(一、九〇八キロ)であることが認められ、右認定に反する証拠はない。<証拠省略>によれば、高松国税局職員尾崎務が昭和四五年三月一二日高松市築地町一三の一有限会社池内精肉店において調査したところでは、豚の枝肉は皮つきの重量で約七〇キロ程度が平均的なものであり、これから皮七キロ、骨六・三キロ、脂肪六・三キロ、目切一・二六キロを差引いた四九・一四キロが店頭で食肉として販売されるものであることを認めることができ、したがつて右数字を前提とすると、豚の枝肉に対する精肉の歩留率は七八%となり、それは被告の主張する精肉歩留率六九・七六%をかなり上廻ることが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、原告本人尋問の結果によれば、原告は豚の精肉を等級別に区分してそれぞれに単価を付して販売していたことを認めることができ、<証拠省略>によれば、原告は、第二次調査の際、被告税務職員間口忠に対し、豚の等級別精肉割合とその数量、単価については、次表のとおり答えていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、結局、原告は、豚の平均販売単価一キロ当り平均六〇〇円と答えていることになるから、これをもととし、かつ前記枝肉仕入重量一、九〇八キロ、精肉歩留率六九・七六%を前提として、原告の豚肉の売上金額を算出すると七九万八、六一二円となることが明らかである。

ところで、被告のなした右精肉歩留率六九・七六%の推計についてであるが、高松市築地町一三の一有限会社池内精肉店の右歩留率が七八%であることから、これをもつてただちに一般の歩留率を推認することは早計であるとしても、被告主張の右六九・七六%は池内精肉店の右七八%に比較してかなり控え目な数字であり、豚の品質の良否等による右歩留率の差異は、その性質上それほど大きいものではないと考えられることにかんがみれば、被告の右推計は、必ずしも不当とはいえないものと認められる。そして、被告が豚の平均販売単価を一キロ六〇〇円とみて計算したことは、前記認定の事実に照し相当であるというべきであるから、右豚肉の売上金額は合理的なものと認めることができる。

(5)  (豚の内臓、骨、頭肉)<証拠省略>によれば、前記原告ノートには、昭和三七年分の豚の内臓の売上金額は豚一頭の内臓単価四〇〇円であつて三一頭分として一万二、四〇〇円、同じく骨の売上金額は豚一頭の骨単価三〇円(一頭につき骨が三貫とれ一貫につき一〇円)であつて三一頭分として九三〇円とそれぞれ記載されていたことが認められ、また<証拠省略>によれば、右原告ノートには、昭和三七年分の豚一頭の頭肉単価は五〇〇円と記載されていることが認められ(被告は右記載の数額をもつてキロ当り単価と解釈しているようであるが、前記認定のとおり、牛の頭肉でさえキロ当り二〇〇円であること・豚の並肉でさえキロ当り五〇〇円である。ことなどに照し右単価五〇〇円とあるのは一頭当りの頭肉単位とみるのが相当というべきである)、したがつて三一頭分として頭肉の売上金額の合計額は一万五、五〇〇円となることが認められ、いずれも右認定に反する証拠はなく、右各売上金額は合理的なものと認められる。そうすると、豚の内臓、骨、頭肉の売上金額は、合計二万八、八三〇円となる。

したがつて、豚の金売上高は八二万七、四四二円となる。

(6)  (かしわ、ハム・ソーセージ)<証拠省略>によれば、高松市今新町有限会社タムラ鶏肉店の自昭和三八年六月一日至昭和三九年五月三一日事業年度決算書では、鶏肉商品売上一、一八九万六、八三八円、売上返品値引一万五、八六八円、期首商品二万二、一〇一円、商品仕入八五七万六、三三八円、期末商品二万五、一四八円、純利益三三〇万七、六七九円であり、したがつてその売買差益率は二七・八%であること・高松市片原町一六の有限会社黒川鶏肉店の自昭和三六年九月一日至昭和三七年八月三一日事業年度法人税額確定申告書では、当期の鶏肉販売利益は一五八万六、三一三円、売上高は五八二万五、六一〇円であり、したがつてその売買差益率は二七・二三%であることが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、<証拠省略>によれば原告は、昭和三七年ころ、かしわ六キロを一、九二〇円(したがつて、一〇〇グラム三二円)で仕入れていたことが認められ、また<証拠省略>によれば、昭和三八年一二月六日ころ、原告は、かしわを一〇〇グラム六〇円と四五円の二種類に分けて販売していたこと・右の時期以前に値上げがあつたがそれは一〇〇グラム五円程度であつて、原告の昭和三七、八年ころのかしわ一〇〇グラム当り販売単価は五五円もしくは四〇円であつたことが認められ、右認定に反する適確な証拠はない。以上認定の諸事実を総合すれば、原告において昭和三七、八年ころ、少なくとも差益率一二%で鶏肉を販売していたものと推認することは、必ずしも不当ではないということができる。

<証拠省略>によれば、高松国税局職員が昭和四五年三月一二日に高松市塩上町二丁目四ノ八高松ハム株式会社について調査したところでは、同社においては、小売店のハムの売買利益率を計算する場合は包装資材、ロースハムの両端の切りくずおよび乾燥によるロス等の合計約一割弱程度のロスをみなければならないので、ロースハム一キロを一、一〇〇円で仕入れ、目滅約一割弱を差引いた約九〇〇グラムのロースハムを一キロ当り一、四〇〇円ないし一、五〇〇円で小売しており、したがつて同社の売買差益率は少なくとも一二・六九%となり、右差益率は昭和三七、八年当時も同程度であつて、スライスもののプレスハムおよび角ソーセージについてもほぼ同様の目滅と考えてよいこと・同じく高松国税局職員が同日高松市築地町一三の一有限会社池内精肉店で調査したところでは、同店では伊藤ロイヤルのIを販売していたところ、三キロ一本の仕入価格は二、一〇〇円で、販売価格は一〇〇グラム当り一〇〇円であり、切れ端のくずハムが一本について二〇〇グラムほど出るが、そのくずハムの販売価格は一〇〇グラム当り六〇〇円であり、したがつてハムの売買差益率は少なくとも二八・〇八%となり、この差益率は昭和三七年当時とほとんど変らないこと・また、同店では伊藤ハムのソーセージの二キロ一本の仕入価格が六五〇円で、販売価格は一〇〇グラム当り四五円であるが、これもくずが一本一五〇グラムほど出ること、したがつてソーセージの売買差益率は二一・八七%となるが、この差益率は昭和三七年当時とほとんど変つていないことを認めることができ、したがつて被告主張のハム・ソーセージの差益率一〇%は右に比較してかなり控え目な数字であることが認められ、右認定に反する証拠はない。ところで、右事実によれば、右両店とも会社組織であつてその規模も原告より大きく、したがつて原告より高い差益率で販売しているのではないかとの疑いがないではないが、被告の主張するハム・ソーセージの売買差益率一〇%は、両店の右差益率と比較してかなり控え目な数字であり、ハム・ソーセージの品質上、その差益率が店舗の規模のいかんによつて大きく左右されるとは考えられないので、被告が一〇%をもつて原告のハム・ソーセージの売買差益率と認めて、本件推計計算の基礎となしたことは、必ずしも不当とはいえないものと認められる。

そうだとすれば、原告の昭和三七年分のかしわの仕入金額が一六万八、六八〇円、ハム・ソーセージの仕入金額が一七万一、一九〇円であることは前記認定のとおりであるから、これに右各差益率を適用して計算すると、かしわの売上は二一万三、五一八円、ハム・ソーセージの売上は一九万〇、二一一円の合計四〇万三、七二九円となることが明らかである。

(7)  以上(1) から(6) までの売上金額をあわせると五六三万三、二七三円となる。

3  (差益金額)よつて、原告の昭和三七年分の売買差益金額は一二六万〇、三九三円となる。

(二)  (昭和三八年分差益金額について)

1  (仕入金額=売上原価)

原告の昭和三八年分の仕入金額(売上原価)が四八一万〇、三七〇円であることは、当事者間に争いがない。

2  (売上金額)

(1)  (牛肉)<証拠省略>によれば、被告税務職員が松山保健所で調べた原告の昭和三七年分の屠殺牛の生体重量は一万四、八九五キロであることが認められ、前記認定のとおり、原告ノートに記載されていた昭和三七年分の牛枝肉総仕入重量は八、七〇九キロであるから、その歩留率は五八・四七%となる。そして、<証拠省略>によれば、被告税務職員が松山保健所で調査したところでは、原告の昭和三八年分の牛の屠殺生体重量は一万五、九一五キロであることが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、昭和三八年分の枝肉歩留率も特別の事情の認められない本件においては、前年度と同様であると推認するのが相当であるから、これに従つて昭和三八年分の牛枝肉重量を算出すると九、三〇五キロとなることが明らかである。

また、弁論の全趣旨として、枝肉に対する精肉の割合(精肉歩留率)、各等級別重量割合および売上単価は昭和三七年分と同様であると認められるから、前記(一)2(1) と同様の方法により昭和三八年分の牛肉売上金額を算出すると、精肉販売重量は六、四三九キロとなり、その売上高は四二三万一、〇六六円となり、右金額は合理的な数値であると認められる。

なお、<証拠省略>には昭和三八年分の牛枝肉仕入重量は九、〇〇一キロ(二四〇〇・三貫)と記載されているが、右生体仕入重量を前年分と比較してその増加率をみると、六%増加しているにもかかわらず、枝肉仕入重量のみは一・九%の増加にとどまることになつて不合理であり、特別の事情も認められない本件においては右枝肉仕入重量は過少記載のものとして措信できず、前示のように前年分の枝肉仕入重量の生体仕入重量に対する比率をもつて推計される枝肉仕入重量をもつて昭和三八年分の枝肉仕入重量と認めるのが相当である。

(2)  (牛の皮、内臓、骨、頭肉)<証拠省略>によれば、被告税務職員南友春が第一次調査の際原告から提示された昭和三八年分収支明細書には、原告の同年分の牛の皮の売上金額は一六万三、二〇〇円、内臓の売上金額は八万円、骨(頭骨を含む)の売上金額は八、五六〇円である旨の記載のあつたことが認められ、右認定に反する証拠はないから、右金額は合理的な売上金額と認められる。

頭肉については、前項認定の保健所調査による牛の総生体重量一万五、九一五キロを基礎として、昭和三七年分(前記(一)2(2) )と同一の方法によりその売上金額を算出すると四万一、二〇〇円となり、右は昭和三七年分と同一の理由により合理的た売上金額と認められる。

したがつて、牛の皮、内臓、骨、頭肉の売上金額は、あわせて二九万二、九六〇円となる。

(3)  (牛の筋肉)原告の牛の枝肉総仕入重量は、前記(1) で認定したとおり、九、三〇五キロであるから、これを基礎にして昭和三七年分(前記(一)2(3) )と同様の方法により算出すると、販売筋肉重量は七七二キロとなり、したがつて、筋肉の単価を一キロ二〇〇円として、その売上金額を算出すると一五万四、四〇〇円となり、右は昭和三七年分と同一の理由により合理的な売上金額と認められる。

したがつて、牛の全売上高は四六七万八、四二六円となる。

(4)  (豚精肉)

(A) <証拠省略>によれば、前記原告ノートには、原告の昭和三七年中の豚の仕入頭数は三一頭となつていること・被告税務職員井内某が松山保健所で調査したところでは、原告の昭和三七年分の豚屠殺頭数は二八頭、生体重量は二、二五一キロであること右原告ノートに記載されていた右二八頭分の枝肉重量は一、七二八・七五キロであり、三一頭分(右二八頭分に一月五日、六月五日、一一月二〇日の分の三頭を加えたもの)の枝肉重量は一、九〇八・七五キロであることが認められ、右事実によれば、原告ノートと保健所調査の結果とでは豚の頭数が異つているが、これは原告が他の名前で屠殺したことも十分考えられるので、原告ノート記載の仕入頭数をもつて原告の昭和三七年分の豚の仕入頭数とみることができる。右事実を前提として、昭和三七年分の豚の生体重量を枝肉重量との比例計算で算出すると、これは二、四八五キロ(三一頭分)となることが明らかである。そして、<証拠省略>によれば、前記原告ノートに記載されていた豚の枝肉仕入重量は五〇九貫(一、九〇八キロ)であることが認められ、右認定に反する証拠はない。そうだとすれば、右生体重量に対する枝肉重量の歩留率は七六・八%となることが明らかである。

そして、<証拠省略>によれば、被告税務職員南友春が松山保健所で調査したところでは、原告の昭和三八年分の豚の屠殺生体重量は二、四六一キロであることが認められるので、右重量と歩留率(弁論の全趣旨としてこれは三七年分と同様のものと認められる)により枝肉重量を算出すると一、八九〇キロとなり、これを基礎として、昭和三七年分(前記(一)2(4) )と同一の方法によりその売上金額を算出すると七九万〇、八〇〇円となり、右は合理的な売上金額と認められる。

(B) <証拠省略>によれば、豚枝肉仕入重量は五〇三貫と記載されており、換算すると一、八八六キロ(キロ未満切捨)であるから前示精肉の枝肉に対する比率および販売単価を適用して売上高を推計すると七八万九、四〇四円となる。また、<証拠省略>によれば豚精肉仕入が二五四キロあるからこれについても前示販売単価を適用するとその売上高は一五万二、四〇〇円となり、結局豚精肉の売上高合計は九四万一、八〇〇円となる。

(5)  (豚の内臓、骨、頭肉)<証拠省略>によれば、原告提示の前記収支明細書には、昭和三八年分の豚の内臓の売上金額は一万一、二〇〇円、骨の売上金額は八四〇円と記載されていたことが認められ、右認定に反する証拠はないから、右は合理的な売上金額と認めることができる。

豚の頭肉については、前項で認定したとおり、昭和三七年分の原告の豚屠殺生体重量は二、四八五キロであるのに対し、その頭数は三一頭であるから、一頭の重量は八〇キロ強となるが、一方昭和三八年分の原告の豚屠殺生体重量は二、四六一キロであるから、昭和三七年分のキロ数と比較すると、その差はわずか二四キロにすぎないのであり、そうすると、昭和三八年分の豚屠殺生体重量は少なくとも三〇頭はあつたものと認めることができる。しかるに、原告の昭和三七年分の豚頭肉の売上単価が一頭五〇〇円であつたことは、前記(一)2(5) で認定したとおりであるから、これを基礎として、昭和三八年分の頭肉の売上金額を算出すると、一万五、〇〇〇円となり、少なくとも右金額の売上げがあつたものであることは明らかであつて、右は合理的な数値を示しているものといわなければならない。

そうだとすれば、右の豚の内臓、骨および頭肉の売上金額は、あわせて二万七、〇四〇円となり、右は合理的な売上金額であると認めることができる。

(6)  (かしわ、ハム・ソーセージ)

(A) <証拠省略>によれば、原告の昭和三八年分のハム・ソーセージの売上金額を算出することのできる基礎資料は、被告税務職員の第一次、第二次調査の際いずれも原告から提示されず、そのため、被告は、前記(二)1の昭和三八年分総仕入金額四八一万〇、三七〇円から牛豚の仕入金額を差引くことによつて、かしわおよびハム・ソーセージの仕入金額を算出したことが認められる。

そして、被告は、昭和三七年分牛豚それぞれの枝肉一〇〇キロ当り生体仕入金額が昭和三八年分牛豚の枝肉一〇〇キロ当り生体仕入金額と同額であることを前提として計算しているものであるところ、<証拠省略>によれば、原告の昭和三七年分の牛の枝肉仕入重量は八、七〇九キロ、同仕入金額は三六〇万七、二五〇円、同じく豚の枝肉仕入重量は一、九〇八キロ、同仕入金額は四二万五、七六〇円であることが認められ、右認定に反する証拠はないから、右によれば、昭和三七年分牛豚それぞれの枝肉一〇〇キロ当り生体単価は牛四万一、四二〇円、豚二万二、三一五円となるので、昭和三八年分の牛の仕入金額は三八五万四、一三一円、豚の仕入金額は四三万一、七五三円となり、したがつて右総仕入金額四八一万〇、三七〇円から右牛豚の仕入金額を控除して、昭和三八年分のかしわおよびハム・ソーセージの仕入金額を算出すると、五三万四、四八六円となることが明らかである。

しかるに、原告本人尋問の結果に、弁論の全趣旨を総合すると、被告税務職員の調査の際、原告から右職員に対し、「昭和三八年分のかしわの売上金額は原告の近くでブロイラー専門店が多数開店した関係上昭和三七年分に対比して六〇%減少した」との申立があり、右職員が調査したところ、右専門店開店の事実があつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そこで、前記仕入金額五三万四、四八六円から右かしわ売上減少分六〇%を控除し、差益率等については昭和三七年分と同様であることは弁論の全趣旨により認められるから、昭和三七年分(前記(一)2(6) )と同様の方法で算出すると、かしわの売上金額は八万五、四〇五円、ハム・ソーセージの売上金額は五一万八、九〇六円あわせて六〇万四、三一一円となることが明らかであつて、右は、昭和三七年分と同一の理由により、合理的な売上金額と認めることができる。

(B) <証拠省略>によれば、かしわの仕入高は一四万七、三三〇円であるから、前示昭和三七年分と同じ差益率を適用するとその売上高は一八万六、四九三円となり、ハム・ソーセージの仕入高は二一万九、七〇〇円であるから、前示昭和三七年分と同じ差益率を適用するとその売上高は二四万四、一一一円となり、両者の合計は四三万〇、六〇四円となる。

(7)  以上(1) から(6) までの売上金額は、豚精肉、かしわ、ハム・ソーセージに(A)を採用した場合は合計六一〇万〇、五七七円となり、豚精肉、かしわ、ハム・ソーセージに(B)を採用した場合は合計六〇七万七、八七四円となる。

3  (差益金額)よつて、原告の昭和三八年分の売買差益金額は右前者の(A)を採用した場合、一二九万〇、二〇七円となり、右後者の(B)を採用した場合、一二六万七、五〇四円となる。

(三)  以上の事実によれば、原告の昭和三七年分および昭和三八年分の各所得金額は、各年分の一般経費および特別経費について、かりに原告主張のとおり、別表一、二の各原告申告額欄記載の額が正しいとして計算しても、なお両年分とも(昭和三八年分については二つの推計方法のいずれを採用しても)被告の各年分の更正額を上廻るものであつて、右のように原告の両年分の所得額が各更正額を上廻るものであることは、昭和三七年分についていわゆる資産増減法による推計によつて所得を算出してみると、一層明白となるのである。(原告の主張によれば昭和三八年分所得はその額は別として昭和三七年分所得より大であつたというのであるから、昭和三八年分についても同様のことがいえることになる)。

すなわち、被告の主張するいわゆる資産増減法による推計の基礎となつた別表六記載の原告の昭和三七年分資産負債については、<証拠省略>により同表の預金関係(調整項目減算の受入利息を含む)の各数額が、<証拠省略>により資産項目の未収入金、負債項目の仮受金の各数額が、<証拠省略>により資産項目の建物、機械器具、車りよう、負債項目の未払公課の各数額が、<証拠省略>により調整項目の国民健康保険および国民年金掛金、生命保険料の各数額が、<証拠省略>により同所得税額が、それぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。資産項目の減価償却費については原告申告額三万九、七三五円をそのまま計算の基礎とすることとし、調整項目の専従者給与控除額が七万〇、〇〇〇円であることは当事者間に争いのないところである。

そして、被告は、同表調整項目の生活費二五万四、四三六円については、原告に家計簿の記載がないので、総理府統計局発行の家計調査報告書(旧CPS)にもとづき、今治市の平均家計一人当り年間支出額八万八、六〇九円に原告の家族数四名を乗じて算出したものである旨主張するものであるところ、<証拠省略>によれば、原告は昭和三七年ころ家計簿はつけていなかつたこと・家族数は四名であることが認められ、右認定に反する証拠はなく、<証拠省略>によれば、総理府統計局の調査にもとづく昭和三七年の各月分「家計調査報告」(旧CPS)の第五表には、松山市は昭和三七年分の標本都市に掲げられていないこと・標本都市に選定されているもののなかで松山市に一番近い都市は今治市であつて、今治市の各月ごとの生活費は別表七(一)記載のとおりであること・したがつてその一人当り生活費の一年分の総額は、同表記載のとおり八万八、六〇九円となることが認められ、<証拠省略>によれば、総理府統計局における松山市の右家計調査は昭和三七年九月分よりなされているが、その係数は別表七(二)記載のとおりであつて、右によれば今治市の生活費は松山市のそれよりも低くなつていることが認められ、いずれも右認定に反する証拠はない。そして、同表(一)、(二)を比較すれば、今治市の平均家計は松山市のそれよりもやや低めであることが認められ、原告の家計(生活費)が右平均家計よりも少なかつたことについては、原告において何ら立証しないところであるから、原告は少なくとも右平均家計程度の生活費を要したものとして、これを右計算の基礎とすることは、あながち不当ではないということができる。そこで、原告の家族四名(<証拠省略>により明らかである)の昭和三七年分の生活費を、右数値を基礎として算出すると、年間三五万四、四三六円となる。

右の各事実を前提として、いわゆる資産増減法によつて、原告の昭和三七年分の所得を計算すると、昭和三七年中に増加した資産は七四万三、五四八円であり、同年中に増加した負債は一万七、〇六〇円であるから、純資産の増加は七二万六、四八八円となり、この金額に生活費三五万四、四三六円、国民健康保険および国民年金掛金一万一、七〇〇円、生命保険料二万八、九八〇円および所得税一万五、六〇〇円の合計四一万〇、七一六円を加算し、これより租税特別措置法三条により総所得に算入されない利子所得三万二、五〇五円および専従者給与額七万〇、〇〇〇円を減算すれば、結局原告の昭和三七年中の所得金額は一〇三万四、六九九円となるのであつて、右金額は被告の更正額をはるかに上廻つているのである。

なお、右の認定事実によれば、原告は昭和三七年中に四三万五、五九八円の定期預金を引出し、一一〇万三、六八一円の定期預金をしていることになるが、これについて、原告は、過年度の所得を預金したものであると主張し、その趣旨にそう原告本人尋問の結果はあるが、原告は過年度の所得について具体的に供述せず、その供述もかなりあいまいであつて、にわかに措信することができない。

(四)  右の次第で、被告のなした本件推計方法は、その余の点について判断するまでもなく、結局その合理性が認められ、その範囲内でなされた被告の本件総所得金額に関する各課税処分は適法であるといわなければならない。

五  (本件過少申告加算税賦課決定処分の適法性)

以上のとおり、被告のなした昭和三七年分の総所得金額を五四万九、三六二円、昭和三八年分の総所得金額を五五万六、九三一円とした処分はいずれも適法であり、別表一〇、一一記載の各控除額は両年分とも当事者間に争いがないから、被告の更正によつて原告の納付すべき税額は、同表各記載のとおり、昭和三七年分は二万九、一六〇円、昭和三八年分は二万七、二五〇円となり、右各金額(ただし国税通則法九〇条三項により一、〇〇〇円未満切捨)に百分の五をそれぞれ乗じて計算すると、昭和三七年分の過少申告加算税は一、四五〇円、昭和三八年分の過少申告加算税は一、三五〇円となる。よつて、本件各過少申告加算税賦課決定分は適法なものである。

六  (まとめ)

以上の次第で、被告のなした本件各課税処分はいずれも適法であつて、これが違法としてその取消を求める原告の本訴請求はいずれも理由がないから、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条および民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 水地巖 梶本俊明 梶村太市)

別表一ないし二<省略>

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